仕方ない

新宿二丁目にある深夜食堂『クイン』が閉店したことを、テレビ番組『ザ・ノンフィクション』で知った。
夫婦二人で切り盛りしていたお店。会社から目と鼻の先にあるお店なのに、行ったことがなかった。
名物女将のみっちゃんは、口は悪いが愛がある人だったようだ。
ビール瓶を叩いて鳴らすのが名物。深夜12時〜朝まで、54年間営業していたそうだ。
お店を閉めて伊豆に旅行に行った二人。11年ぶりの旅行だそう。
温泉宿についたみっちゃんの顔は穏やかだ。
現役時代はずっと気を張っていたのだろう。1ヶ月でこんなに人の顔って変わるのかと驚く。
お店を閉めてから怒らなくなったという彼女。
「54年やってきたんだから、まあいいだろう。しょうがないね。」
という彼女の言葉が印象的だった。
『仕方がない』
一種の諦めのように思える言葉だが、とても前向きな言葉だと思える。やり切ったから言える言葉だ。
先日、慈眼寺住職 塩沼大阿闍梨の講演を聞いた。大阿闍梨とはお坊さんの先生というポジションだ。
住職の教えは「毎日を精一杯生きる」こと。
そして、どんなにAIが発達しても、人は反復練習をすることでしか上達しない。精一杯やり切って、3年くらいすると、ぽつぽつと、できるようになっていることに気づくという。
彼は千日回峰行を成功させた2人しかいないお坊さんの一人。
千日回峰行とは、5月〜9月の4ヶ月、1355mの険しい山道を一日48km、千日歩き続けるという修行だ。
一度行に入ったら途中で絶対に辞めることができないという掟があり、もし断念しなければいけない場合は、短刀で腹をきらなければならないそうだ。彼は1991〜99年の9年で満行した。
「行を終え、行を捨てよ」
行は手段でしかないから、行ったことを自慢するなと師匠に教わったそうだ。
彼の師匠も母も、想いに一貫性を持っていて、隙のない人だったそうだ。
だから上に立つ人間は隙のない人間でないと人はついてこないという。
「生涯小僧のこころを持つように」と塩沼大阿闍梨はいう。
「小僧のこころ」とは、自分に正直に、まわりにふりまわされない、欲望にまっすぐなこころだと僕は解釈している。
僕が一番「小僧のこころ」を持っていた時期は、きっと、幼稚園年長の時だったと思う。
その時の写真は、笑っているか、泣いているかのどちらかだ。
最近になって、あの時の感じに戻ってきているような感覚をおぼえる。
そう感じるのは、「仕方がない」と思えるようになったからだ。
以前は、何事も自分の思い通りにしようと必死だった。
だから諦めも悪く、強引だったと思う。きっと顔も怖かったはずだ。
しかし最近になって、いろいろなことに「仕方がない」と思えるようになってきた。
これは、ある意味、経験を積んできた結果ではないかな。
深夜食堂のみっちゃんは、お店に人生を捧げる道を選んだ。
塩沼大阿闍梨は、隙のない師の道を進んでいる。
僕は「焚き火感のある男」になりたいと思っている。
焚き火感とは、
 肩の力が抜けていて
 周りを温めてくれて
 人も繋げるし、お金も支援してあげて
 ニコニコしながら背中を押して
 その人の人生を応援する
そんな人物像だ。
「何わけのわからんことをいってるの?」という人もいれば、
「それいいね!」と言ってくれる人もいる。
まわりがどう思うかなんてどうでもいいこと。
大切なのは、自分がどういう道を歩んでいきたいかだ。
そんな男になれるよう、
毎日を精一杯生きて、
何度も失敗を繰り返しながら、
反復練習をしていく。
60歳までには、八合目くらいに到達していたいな。
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今週も「週刊秋葉塾」を読んでいただき、ありがとうございます。
『薫習』という言葉があるそうです。
(香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心に習慣となって残ること)
焚き火感で薫習というと、燻製みたいな感じがする人になるということか・・・?
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